町田市相原町の歴史

私の出身地である町田市相原町の歴史みたいなところについて、メモ書き程度にネットの海に残しておこうと思い、書きます。

小学校で学ぶ程度のものですが、意外とネットや文献で集めるのは大変なのでは?と思い、小学校で学ぶ程度のことを書きます。

歴史というのは口伝が多いですが、形に残しておくことで価値が生まれるのではと、いろいろな博物館を巡って思った・・・というのもあります。

地理

相原が一番近い繁華街は、現在では橋本です。しかし、その昔は橋本は大して栄えておらず、一番近い街は八王子でした。

今では町田駅周辺が大きく栄えていましたが、昔は甲州街道があることもあり、八王子の方が大きかったそうです。

とある昔、相原町(堺村)が町田市や八王子市に加入?しようと選択肢を迫られたとき、町田市は八王子と違って条件が良かったという噂を聞いたことがあります。当時の八王子の権力が伺えます。

養蚕

相原の歴史で一番に挙げられるのは「養蚕」でしょう。上で八王子が近かったと書きましたが、八王子の影響を受け、養蚕で栄えていたというのはよく聞く話です。

昔々、八王子は織物の街だったというのは、八王子市のホームページにもあります。
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/hachioji-kids/001/002/p020051.html

事実、小学校でもカイコを育てようというのがありました。(よくある話かもしれませんが…)
カイコの餌となる、桑の木が至るところにあり、小学校でカイコを育てるときは「桑の木を家の近くで探して、餌として与えなさい」とのことでした。

青木家

相原で現在でも大地主として知られるのは「青木家」でしょう。昔から大地主で、現在でも駅前に屋敷があります。

横浜線が敷設されるときは、相原が初期設置駅として挙げられていました。これは、後述の通り青木家によるところが大きいそうです。
ちなみに、隣の橋本駅は当初計画にはなかったのですが、横浜鉄道の工場を誘致するなど、土地を与えることで初期設置駅になったという話があります。

横浜線が敷設される当時は蒸気機関車の時代でした。農作物に影響があり、当時は文字通り煙たがれたらしいですが、街の発展に必要とのことで敷設されたようです。

青木家の屋敷が駅付近に多いと書きましたが、昔は煙が近い線路沿いは嫌われたようです。
そのため、「嫌なことを買って出た」という側面も大きいでしょう。

相原の相原小学校は戦前からあります。これは「昔、教育が大切と偉い人が言った」と言われていますが、青木家の出資によるところがあるようです。
実際、相原小学校の校門の裏に出資者の名前があり、青木姓も多数あるようです。

京王線

戦後まもなくは、相原も橋本も同じくらい栄えていたそうです。

そのため、京王帝都電鉄で相模原方面に線路を引くと考えたとき、相原が当初の経由地だったそうです。

その証拠に、相原町の山は、京王電鉄が所有者となっている土地が多いです。

結局、相模線の起点駅となり、周囲に工場が多く、人も多くなった橋本が選ばれたわけですが…

(適宜思い出し次第追加します)
(何か記憶等ありましたらコメントお願いいたします。)

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